小生、テロに巻き込まれる。

ボストン、激動の一週間が明けた。


事件発生の流れはアメリカだけでなく日本でも多く報道されていることだろう。事件発生は今週の月曜日だった。ボストンマラソンゴール付近での爆破事件である。月曜日はマサチューセッツの休日だそうで、休日の来る来ないは研究者の裁量に任されている。先週の金曜日の時点で秘書さんも「私は来ないわよ!ボストンマラソンもあるしね!」と言っていたし、先週一緒に飲んでいた永田からもボストンマラソンというアメリカでの屈指のスポーツイベントがある事を聞いていたので、ほうほうそんなイベントが…と頭の片隅にインプットされていた。

さて、当日の僕はというと、とりあえずラボに向かって、だらだらと午後のひと時を論文を読みながら過ごそうと決めていた。プロジェクトの詳細が決まっていない焦りもあるし、そもそも僕は人気の無いラボというものが大好きで、とりわけPicower Instituteのガラス張りテラスは、僕のラボ選びに多少なりとも影響を与えうるほどに好みの空間なのである。とりわけ天候もよく、太陽もさんさんと降り注いでいたので、ちょっと面倒だしマラソンを見に行くのはやめて、ビタミンD For freeの空間で、一日論文を読み耽ることに決めた。

昼過ぎ、胃もコーヒーでボロボロになり、海馬と扁桃体の辟易するほどの知見に集中力を掻きむらされ始めた頃、テラスに電話をしにくるラボの院生の姿が。プライベートな電話などをするために、皆がよくテラスを利用している。彼が帰ると、また別のポスドクが電話しにきて、さらにまた。今日はやたらヒトが来るなと思い、荷物をまとめて居室に帰る。居室の僕の真後ろのデスクは、今年からきた真面目な大学院生なのだが、めずらしく何かの動画を見ている。まぁ休みだもんねー、と思いつつパソコンのメールをチェックしてびっくり。MITのアラートメールが数通。ボストンマラソン?爆発?テロ?死者?え?えええ?

さっきまでの不可解な出来事が一本線に繋がり始めて、ふっと懐かしの古畑任三郎の「偶然が3回続いたら偶然じゃない」という台詞を思い出した(この言葉はサイエンスにもとてもよく当てはまると思う)。大学院生の見ていた動画が、件の事件のニュースだと知る。そのあとは報道の通りだった。時間が経つにつれて、事件が偶然の爆発ではなく、テロだということが分かり始め、凄惨な写真が報道され、相当数の死傷者が出た事を知った。爆発が起きたところも、僕のいるラボからチャールズ川を隔てて、ほんの目と鼻の先の位置だったということも。自分の人生で初めて、「アメリカって怖いな」と思った一瞬だった。


明くる火曜日、朝から街はピリピリしていた。Red lineもGreen lineも全ての駅の改札で手荷物検査があり、各出口には全て軍人が配備されていた。僕は携帯を手にいれるためにCentral stationや、ソーシャルセキュリティナンバーを手に入れるためにNorth stationまで行ったりと電車を駆使していたので、その度に手荷物検査をされゲンナリ。ソーシャルセキュリティナンバーを手に入れるための役所は、ボストンで言うところの永田町のような場所にあって、当然ながらそのエリアでは特に警戒が厳重だった。サブマシンガンでフル武装した数人の部隊などに遭遇するたびに、安全と健康は失って初めて価値が分かるという言葉を実感した。

そのあとも、事件の事を忘れた頃に「○○の建物で不審物が見つかったから、接近するな」といったMITアラートメールが数回にわたって届き、何かと落ち着かない日々が続いた。そして木曜日の夜になるのである。


木曜日。僕はディスカッションを終えて、9時頃にラボを出ていた。今週末はボストンビールフェスティバル、ワインフェスティバル、MIT Media Labフェスティバルとイベント続きの予定だったので、ちょっと楽しみにしながら、早くも週末へとこころが飛びつつあった。家について、メールをチェックしていると、またもMITアラートメールが。また何か不審物が見つかったか?と思っていたら、

「本日、10:48PMに32号館でガンショットがあったという報告がありました。そのエリアを封鎖します。ケガ人がいるかなどの状況は不明ですが、事態はまだ落ち着いておらず、極めて危険です。」

えええ?事件が起きたのは32号館で、僕のラボがあるのは46号館。真向かいの建物で、32号館は食堂やらジムやらが入っていて、ほぼ毎日必ず立ち寄る建物である。つい1時間ほど前にも僕はそこにいた。今から考えると、ほぼ間違いなくその時点で犯人はそのエリアにいたわけで、そう考えると肝が冷える。慌てて、News、Facebook, Twitterなどを駆使して情報収集に努める。警官が撃たれて亡くなった事、まだ実験していたラボメンバーはエリアに封鎖されたことを知る。


続々と入ってくるアラートメール、MITの緊急掲示板に最新情報が書き込まれ、緊急事態感が高まる。絶対に外出するなと。時間も日を跨いでいたので、ベッドに入って目をつぶるも、パトカーのサイレン音がしきりに続いていて、あまり深くは眠る事ができなかった。


金曜日。本来ならラボミーティングの日だったが、早朝にラボのメーリスで先生から「Do NOT Come to Work Today」というメールが流れる。ニュースを付けると、そもそもケンブリッジエリアは犯人逮捕のために全ての地下鉄がストップしており、外出禁止令。街はゴーストタウン状態になっており、銃殺があったMITは全て封鎖されていることを知る。どうやら、ウォータータウンで銃撃戦があったようで、犯人のうちの一人が死に、もう一人が逃亡中のようだった。ラボメンバーが教えてくれたBoston PoliceのTwitterアカウントは最新情報を伝えてくれており、Policeからの会見で二人組の姿が公開され、どうやらチェチェン出身の兄弟だという情報が入ってきた。

昼過ぎになってもパトカーのサイレン音はずっと続いているし、ヘリコプターのプロベラ音も近くなってきており、「戦争中」といった感が強くなってくる。SWATも街中のいろいろなところに配置されはじめたようだった。テレビを見ると、生中継の映像などが流れるのだが、軍、警察関係者が作戦の支障になるから映すなと止められるシーンも多数。少なくとも、犯人同様、我々ボストンに暮らす人間も、今どうなっていて、どの方向に包囲網が閉じていっているのかがわからない時間が続いていた。夜、テレビニュースが犯人の弟を逮捕したという速報が大々的に報じられるまで。

テレビは盛大に、犯人逮捕と地域住民へのインタビューを繰り返していた。「本当に許せない事件だったが、警察や軍が犯人を逮捕してくれた!本当に感謝している!」といった内容で、住民もやっと解放されて家の外に出てきて、しきりに拍手している。僕はというと、事件一段落にほっとする気持ちと、アメリカ国民ではない一歩外から状況を見た時の「国民感情が煽られているストーリー」じみた事件に対して、少し怖くなる気持ちが混じりあっていた。


土曜日。昨日の鬱憤を晴らそうというのか、街はやけにヒトが溢れていた。逆に警察や軍関係者は一切がいなくなっており、完全解決した感じが漲っていた。しかしながら、本音を言うといささか不可解な部分が残りすぎる事件だった。まず、本当にこの二人組が犯人なのか?彼らは月曜日に爆破してから、超厳重警戒態勢のボストンから逃げることもなく、滞在し続け、木曜日にコンビニに強盗に押し入り、警察を銃で撃って逃亡したそうだ。あまりにお粗末すぎる結末。わざわざ、そこでコンビニ強盗するか?という疑問。一部ニュースでは、件のバックパックボストンマラソン時に、置いていく別の二人組について報じられている。

さらに疑問なのは街から、あまりにすっぱりと軍関係者がいなくなったことだ。火曜日、水曜日とあそこまで厳しい手荷物検査をしていたにも関わらず、土曜日以降は誰もいない。さすがに犯人が別にいる可能性などを考慮して、あと2日間ほどは続けるのが普通ではないかと思うのだが。もしかしたら、事前に何か情報をつかんでいたのではないかなとも思う。


昼過ぎに大学に着くと、まさに僕のラボのある場所の目の前で献花が行われていた。ここが警官が銃殺された場所なのだろう。事件の本質がどのようであったにせよ、彼が26歳という若さで犠牲になった事は事実だし、彼がMITの生徒や研究者を守ったのも事実である。ハーバードとMITというボストンの抱える二大スクールは、アメリカの象徴の一つでもあるし、次なるテロの標的に十分成り得ただろう。MIT学長のメッセージとともに、MIT newsも ‘He loved us, and we loved him’と題した記事を伝えた。

アメリカという国について、危ないという認識を持ちつつも、今まで何回来ている経験も手伝ってか、どこか僕は安心していたと思う。本当のアメリカ暮らしが始まってまだ間もないが、テロ、戦争、銃社会の恐怖、この国の抱える闇の部分を、カウンターパンチのようにくらった重たい一週間であった。