メスの選り好み行動 〜ワタシはアナタのここが好き〜

結局のところ、生物が生きる意味とは「自らの遺伝子を残す」ためである。『利己的な遺伝子』を著したリチャード・ドーキンスは生物を「遺伝子の方舟」と称したが、まさにその文字通り遺伝子を次の世代に残すための器にすぎない。(極めて興味深いことに、しばしば「種としての遺伝子を残すこと」と「個体として遺伝子を残すこと」の間に矛盾が生じ選択を迫られることがあるが、それはまた別のトピックとして残しておこう)


今日は「個体として遺伝子を残すこと」の話をしようと思う。種内での性を巡った競争である。種内での戦いは、当然のことながら、(1)メスとオスの闘い、(2) オスとオスの闘い、(3) メスとメスの闘いの3つに大別することができるが、今日は私自身の研究分野である「メスとオスの闘い」について書こう。


多くの場合、メスは子供を産み、育てる性であり、一方、オスは性行動によって子供を作り、その子供が生き残るように投資をする性である。もちろん、どの程度行うかという程度問題は種ごとに異なっていて、人間の場合、オスが払うコストも大きい。さて、逆にコストをメス側が多く払う動物の場合には、ある一瞬を取った時に生殖可能な個体はオスの方が多くなる。オスとメスが10匹ずついたとして、メスのうちの8匹が妊娠中や子育て中なら、オスとメスの比は10対2となる(このことを実効性比と言う)。それが偏った結果、メスが「相手を選ぶ性」、オスが「相手に選ばれる性」となり、より良い遺伝子を持つオスをメスが「選り好む(female sexual preference)」のである。


それでは、何を価値基準に、より良いオスを選ぶのか?ヒトの場合、大切なのは、収入?見た目?性格?実はまさに似ていることが動物界でも行われているのである。この現象による一連の進化を示唆したのが、チャールズ・ダーウィンであり、1871年の『人間の由来と性淘汰(The Descent of Man and Selection in Relation to Sex)』という著作の中で「配偶者選択」という言葉を用いて説明している(配偶者選択は性淘汰の中の一現象)。


彼は1859年のかの有名な著作『種の起源』のなかで、進化論の基礎的な構造を示しているが、そのなかで自然選択説のみでは証明できなかったいくつかの事象に当たっている。クジャクの羽根のように、天敵に見つかりやすく、かつ採餌などの生存のための行動に明らかに不利に働く形質が、どうやったら進化してくるのか?という謎だ。この答えとして彼が思いついたのが、「メスに選ばれることによってオスの形質には生存のための価値が生まれ、その形質はより明確になる方向へと進化しうる」というものだ。


要するに、全く意味が無い「鼻が高い男がイケメン」という文化が(このことを以下、イケメン要素と呼ぼう)進化上形成されうるのである。鼻が高いことによって生き残るための確率が全く変わらなかったとしても、鼻が高い男は女性からモテモテになる。なぜなら、その女性が産む子供もお父さんに似て、鼻が高くなる可能性が高く、将来周りにいる女性にモテる可能性が高い。つまりは、自分の子供達が生き残る可能性が高くなるからだ。意味の無い形質が進化しうるというセオリーはとても興味深い。(別に、鼻が高い男友達に嫉妬して、そこに意味がないと主張しているわけではない)


生物を勉強したことがあるヒトは、この理論はダーウィンによって確立されたと勘違いしているが、実証されたのは意外と最近で、1982年のMalte Anderssonの「Female choice selects for extreme tail length in a widowbird」というNatureの論文によってである。コクホウジャクという尾羽が非常に長いトリを用いて、イケメン要素が「尾羽が長いこと」であると示したのだ。オスの尾羽をちょきっと切ると、そのオスはもてなくなり、その切り取った尾羽を別の雄の尾羽にくっつけてあげると、そのオスがもてまくるようになったのである。(切られた方のオスはたまったものではないと思うが…)動画で見ればわかると思うが、生存にはとても不向きなほどその尾羽は長く、風が吹くと尾羽のせいで流されてしまうほどだ。(Reviewとしては、Mate choice(Ryan et al. Current Biology 17(9):313))

この現象は、その後多くの動物で報告された。グッピーの尻びれの赤い斑点、ソードテールフィッシュの腹びれなどがその典型例である(なお、クジャクの羽根の模様については現在でも論争中)。ダーウィンを悩ませた、アズマヤドリの巣についても、「装飾の数と珍しさ」が配偶者選択の対象であることが実証された。『人間の由来と性淘汰』の中のダーウィンの文章を御紹介しよう。 


「しかし、最も奇妙な例は、オーストラリアの三つの近縁な属に属する鳥たち、すなわちあの有名なアズマヤドリであろう。この鳥たちはどれも、はるか昔に、愛の道化を演じるためにあずまやをつくりあげるという奇妙な本能を最初に獲得した鳥の子孫であるに違いない。あずまやは羽、貝殻、骨、木の葉などで飾られ、求愛のためだけに地面の上につくられる。(中略)これらの奇妙な構築物は、まったくお見合いの部屋としてのみ使われており、両性が求愛をして楽しむところであるが、これをつくるのは鳥にとってかなりな作業に違いない。」(『人間の由来と性淘汰』 第13章 鳥類の第二次性徴より)


容姿以外については、説明をウィキペディアに譲ろう。アジサシやガガンボモドキではオスが貢ぐエサの量や質が重要である。クロライチョウのように踊り、鳴き声、しっぽの美しさを組み合わせてアピールする種もいる。ニューギニアのフキナガシフウチョウは頭部に装飾的な羽を発達させて求愛するが、同所に生息するパプワニワシドリは抜け落ちたフキナガシフウチョウの羽を巣の飾りに用いる。セミの鳴き声、ホタルの発光、ガや酵母菌が出すフェロモンも配偶者選択に関わる信号である。メスの年齢や地域によって好みが変わることもある。アオアズマヤドリでは巣のきらびやかさが重要な要素だが、経験を積んだメスは巣の作りだけではなく、オスの求愛ダンスも重視する。


さて、それでは人間の「イケメン要素」とは何なのか?

それはまた別のおはなし。