小生、活きている。

カールスルーエのカイザーストリートには数多くの小さな店々が立ち並んでいるが、その中でも僕のお気に入りで鉄板で美味いところが3カ所ある。一つは連日紹介しているビアアカデミー。生ビールの品揃えが良く回転率も高いので、他店よりもヴァイツェンが美味い。この街では、生はある決まった醸造所のビールしか置かず、他種は豊富な瓶ビールでカバーというタイプの店の方が多いので(店先に特定の醸造所名の看板が掲げられているところは特にその傾向あり)、豊富な生が飲めるというのはなかなか魅力的である。

もう一つは、一度だけ紹介している、Kofflersという肉屋。店先に多くの肉が立ち並び、それをニンニク炒めしたオニオンとともにパンに挟んで出してくれる。生ビールが一種類しかないところが残念だが、ストリート沿いの店先の席も用意されているので、夏はなかなか気持ちよく豪快なバーガーとも言い難い「バーガー」を楽しむことができる。

さて、今日紹介したいのは、Schlemmermeyerという肉屋。兎にも角にも生ハムを含めたハムの揃えが充実している。スーパーマーケットでもハムの揃えは充実しているのだが、さすが専門店、こちらの方がより種類が多く、サービスもいい。僕が外国人だからというのもあるかもしれないが、悩んでいると、サクサク肉を切って味見させてくれるのも、小さい店ならではの魅力である。2〜3ユーロの安ワインを1本買って、生ハムとチーズを買って家に帰るのがとてつもない贅沢なのである。

生ハムは大きく、「塩漬け・乾燥のみで燻煙しないハム」か「燻煙はするが加熱しないハム」に大別され、イタリアのプロシュットやスペインのハモンセラーノは前者に、ドイツのラックスハムは後者にカテゴライズされる。そもそも、「ラックス」とはドイツ語で鮭のことで、鮭の肉のように鮮やかな紅色をしたハムという意味だそうだ。だいたい縦15cm、横30cmくらいのスライスに切ってくれて、4~5スライスで100gくらいで、価格は3ユーロ(=300円)ほど。2種類くらい買えば十分な御馳走である。

今日は初めて燻製生ハムにトライしてみた。元々燻製は大好きだったのだが、前いたラボの隣のラボに、お父様が燻製を作るのが御趣味という院生がいて、作って下さった鮭の燻製を食べて以来、僕は実は燻製の魅力に取り憑かれている。日本に帰ったら、いつか必ず燻製教室に通いたい。今日は本場の燻製生ハムを食べたわけだが、これはもう掛け値無しで死ぬほど美味い。一人で食べるのが本当にもったいないとこころから思ったほど。生ハム自体でも美味しいのに、そこに煙の複雑な魅力が相まって、日本にはなかなか無い味と香りのハーモニーである。こういう美味しさに出会った瞬間、やはり海外は必ず結婚してから、一緒に行くのが良いと思えてくる。正直、つらいことも感動することも多くあり、結婚式の決まり文句ではないが、悲しみは半分に、幸せは倍にできれば、何と楽しいところなのだろうと、想像しただけで思えてくるのだ。

こう思えるのも、ヨーロッパならではというところもあるかもしれない。今まで何回か1ヶ月単位でアメリカに滞在はしたこともあったが、こういう気持ちにはならなかった。つらさの部分で言うと「言語」の問題が、幸せ部分で言うと「文化」と「食事」が理由かもしれない。思った以上に言語の問題は大きな壁で、英語をしゃべれるヒトを探さないといけない瞬間は多い。街中に氾濫する掲示板や注意書きも、まぁほぼ全く意味はわからないので、少しずつストレスが蓄積することは間違い無い。一方で、文化や食事については素晴らしいの一言に尽きる。ちょっとした小さい街でも、ものすごく歴史のある大聖堂や宮殿・城などがあるし、食事や酒も魅力的で多様性があり洗練されている。これはアメリカには無い魅力である。

研究に関しても、この問題は関連していて、アメリカよりもヨーロッパは多様性を許容する環境が整っている。こちらの持ち込んだ「意味不明なもの」に対しても、頭から拒絶するのではなく、どうしたら現実的なプランになるかというベースで話しを始める態度には、極めて好感が持てる。それは、ヨーロッパ全体が他民族国家というか、様々な種類の人種が混じり合うところにも由来するのかもしれない。僕のいる研究所も構成している人種はバラバラで、PIですらもドイツ人、イラン人、フランス人、オーストラリア人、スイス人などなどで様々だ。全く分野違いの研究者とのディスカッションは日本やアメリカよりも多いと感じた。マイナス点は、動いている予算がアメリカよりも少ないので「お金で解決」という発想はあまり無いこと、ハーバードやMITといった大きな有名大学では無いので、サイエンティフィックな刺激が少ない事、「今の自分のペースで大丈夫なのか?」といった不安が生まれやすいという事だ。地味に、研究所が契約していないために「ダウンロードできないジャーナル」が多く存在することもストレスにはなっている。

まぁ、ただ最終的には自分がどういうサイエンスに最も興奮できるかであるので、精一杯ここでしか味わえない感動や苦しさを楽しめる事ができれば幸いである。一昨日もスリにあい、ショックと言えばショックだったが、なかなか無い体験をできたという意味では、僕にとってはプラスである(別にもう一回会いたいというわけでは無いのはもちろんのこと)。こうして文章を綴っている中で、ふと、僕の中高時代の校長先生である樋口貞三先生の事を思い出した。

氏は猛烈に変わった校長先生であり、そして、僕の人生の中で最も尊敬する校長先生であった。大抵、「校長先生のお話」というのは心底退屈なものだが、僕らの事を「諸君!」と呼び、そこから始まる彼の言葉(というよりも「演説」)は、いつも情熱的でこころを打ち震わせてくれ、そして何より、長い年月が経った今でさえも心に燻るものであった。とりわけ彼の最も好きな言葉であり、同じ時代をあそこで生きた若者のこころに強く刻まれたのは、「ビビンシャ」というスペイン語であった。意味は「活きた体験」。「知識」でも、単なる「体験」でもなく、自分の意識や行動を変えうる、「活きた体験」を何よりも追い求めよ、というのが彼が数年間に渡って我々に発し続けた強いメッセージであった。こうして考えると、異国の地でわけも分からず必死にもがき、何かを得て少しずつではあるが前に進むのは、僕の人生の中の紛れもない「活きた体験」であると思えるのだ。(今調べたら、アマゾンで樋口先生の本が出ていたので、是非、御興味がある方は彼のメッセージを受け取ってみてほしい。『身体の飢餓と魂の飢餓―筑駒校長としての一四六一日 』樋口貞三著)

今日の日記は、自戒も混めて、尊敬する樋口貞三先生の言葉で締めたいと思う。僕らの愛するあの中高を、彼が去る際の、最後の「演説」の中の、最後の「言葉」である。「私は最後に、諸君らにこの言葉を贈りたいと思う」とした上で、こうおっしゃった。

「Boys, be ビビンシャス!!」(樋口貞三)